in グアテマラ
5月24日。
一月半いたメキシコに別れを告げこの旅3ヶ国目になるグアテマラに入った。
グアテマラは中米で最も人口の多い国で、国土の大半が標高1000mを越える高原地帯に属している。
大半の人がスペイン人と原住民の混血だったメキシコと比べて原住民の占める割合が多く、土着の文化に気軽に触れることができる国だ。
今回はそんなグアテマラについて、少し紹介したい。
国境を超えた話
メキシコ南部の街 パレンケから舗装された道を突っ走る事3時間。
グアテマラ入り口の町、テクリカ(Tecrica Agropecuarina)に入った。
国境を越えてから道は土がむき出しになり、建物やバスなど全体的にボロボロな雰囲気が目立つ。
人々はジャングルを切り開いた土地で家畜を飼ったり果樹園を作って生計を立てているようで、小さな子供たちが学校も行かず裸足で荷物を運び回っていた。
国が貧しいのか国の外れのジャングルにあるこの地域が貧しいのかは今の時点では俺には分からない。
だが鉈を片手にココナッツを割る4才児や、歳関係なく皆で遊び回る子供たちを見て思うのだ。
画面を見続けて育つ日本の子供たちと比べ、どちらが逞しく、人間らしく成長するのだろうかと。
そんな海外に行けば誰もが受けるカルチャーショックを久しぶりに感じながら、その後数時間バスに揺られフローレスへと向かった。
グアテマラへは船で川を渡って入国する
25分で向こう岸に着くよ。と聞いていたが、実際は25秒で着いた。
近い!Σ
メキシコの家はブロック造りが殆どだったが、グアテマラ北部は木とヤシの葉かトタンの屋根の家が主流な様子。
土の文化圏から木の文化圏へ移った気がした。
フローレス島の話
グアテマラ最初の夜はフローレス(Flores)という街の出島、フローレス島に泊まった。
湖の畔にあるこの街は、近くにある世界遺産 ティカル遺跡への基地として有名だ。
そのため日々多くの観光客が押し寄せており、ホテルが集中しているフローレス島が観光客の受け入れ先として文字通り外国人を受け入れる「出島」として活躍している。
そのため島はこれまで通ってきたボロボロの町とは違い、流石に島は観光地化が進んでいるらしい。
実際に着いてみると無数のホテルや外人向けの値段設定。寂れた街並みや水没した外周の公道などがとても見事で・・・っておい。
滅びかかっとるやんけ。
右側は一応公道
水没した外周の道に至っては、人工プールか向こう岸へ向かう渡し船の船着き場に成り果てている。
どゆこと?
この島は湖が沈む夕日が綺麗なのが売らしいが、先にこの島が沈みそうだ。
これで島の外より物価が高いのは納得いかない今日この頃。
深夜3時、街はティカルへ行くバスを待つ旅人たちで溢れる
これはこれで一つの風物詩かもしれない。
マヤ文明がジャングルに造った世界遺産 ティカル遺跡
朝日に照らされる遺跡が見たくて早起きしたのに当日は霧が立ち込める運の無さ。
グアテマラシティの話
フローレスから次の街へ向かう途中、乗り継ぎの関係でグアテマラシティに一泊することになった。
グアテマラシティはグアテマラの首都で、グアテマラの中でも街の規模と治安の悪さは他に比べて群を抜いていることで有名だ。
到着が夜間帯になってしまったが、まあ同じく治安が悪いことで有名なティファナも噂ほどではなかったし、どうせたいした事もないだろう。
そんな気持ちでバスから中心街に降りたとたん、一緒に降車した男性に怒鳴られた。
「バカっ!!バッグを胸の前から離すな‼」
急ぎカバンをホールドすると、改めて辺りを見回す。
薄暗くボロボロの繁華街。
そこら中でたむろする怪しい目付きの若者たち。
全ての店は鉄格子越しに商売をしており、ブロックの曲がり角には必ずショットガンを持った警察が数人ずつ待機していた。
ヤバい。
この街は本格的にヤバい。
第六感が警鐘を鳴らす。
臆している事を悟られるな。狩られるぞ。
自分に言い聞かせながら、表面上は余裕を見せながらも神経を研ぎ澄まし、周囲に気を張り巡らせながら必死にホテルを探した。
何事もなく無事ホテルを見つけ、次の日には市街へ脱出することが出来たが、あそこまで不吉な臭いのする街は初めてだった。
ホテル入り口
当然のように入り口は分厚い鉄格子で仕切られている。
日中は人通りも多く安全に感じた
これから向かう方は間違っても夜間帯に着かないよう気を付けて欲しい。
中心街から郊外へ向かうほど街並みは綺麗に整っている
それはもしかしたら内戦前に作られた街並みと、内戦後に作られた街並みの違いなのかもしれない。
パナハッチェルの話
フローレスからグアテマラシティを経由して、現在パナハッチェル(Panajachel)という町に滞在している。
この町はアティトラン湖という世界一美しい湖の畔に位置し、遠くに火山が見える綺麗な景色が有名だ。
また原住民の方達が作る民芸品の店も多く、ある人は景色を眺めに、ある人は綺麗な民俗衣装を買い付けに。
さまざまな理由で多くの観光客が集まり、その為か街にはいつも活気が溢れている。
治安もよく人も親切。気候も北部のように蒸し暑くないこの町が気に入り、数日間滞在することにした。
そんなある日の事。
深夜帯にホテルの近くから賑やかな音楽が聞こえてきた。
音に誘われ周囲を徘徊するが、どうやら音源は高い壁が張り巡らされた敷地の向こう側。
出入り口も鉄の扉で仕切られており、結局その日は音楽の正体も敷地の正体も分からずじまいだった。
次の日の朝。散歩に行くと、例の敷地の敷地に入っていく子供たちを発見。
この中になにがあるんだい? って聞いてみたら、彼らは元気よく「「学校!」」と答えた。
監獄の間違いじゃないのか?
失礼ながらそれが正直な感想だ。
敷地の中と外は3m近い壁と有刺鉄線で完全に隔たれており、完全に外界との繋がりをシャットダウンした作りになっている。
何故にここまで閉鎖的にする必要があるのか?
そこでふと、この国は内戦が終わって20年も経ってない事を思い出す。
もしかしたらこの壁は、子供たちを守るために作られたのかもしれない。
今は平和な町の一角に、歴史の爪痕をかいまみえた気がした。
朝の岸沿いは野良犬のホテル
彼ら曰く、石畳がヒンヤリして気持ちいいんだワン とのこと。
毎朝干されるホテルスタッフ一家の洗濯物
朝これを見上げるのが密かな楽しみ。
Ps、今月末に次の大陸に渡ります。
世界一周ブログランキングに参加中!
面白いと思ったら、下のバーナーをポチッとクリックお願いします🎵
















