What is Your Dream?

2015年4月3日から、世界一周中の25歳♂です。
世界中の人に夢を尋ねてそれを紹介するブログができたら。そんな理想と、
そうは問屋が卸さない現実の壁に世界中で四苦八苦する様子をお届します。
人生やらかしてなんぼ!まってろ、世界!! 
※2016年3月23日に無事ゴールしました! 応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました!

失恋物語


8月30日


イタリアから船でアドリア海を渡り、バルカン半島の西に位置する東欧の国 クロアチアに向かった。



クロアチアは日本の九州程のサイズの国で、元々はバルカン半島の大半を有するユーゴスラビア連邦の一員であったが、民族性の違いから1991年に独立。


その後しばらく紛争が続いた事、独立してまだ24年と比較的新しい国であるということからか、日本人にとっては少々馴染みが薄い国である。



馴染みの薄さには個人差があるかもしれないが、少なくとも自分にとってはつい先日まで「クロアチアってアフリカですか?」と真顔で聞けるぐらいには馴染みのない国であった。


そんな馴染みのないクロアチアに行くことにしたのは、スイスで出会った岡野さんに熱心に薦められたのが切っ掛けだったりする。



岡野さん曰くクロアチアには、「無数の湖と滝が織り成す幻想的な自然公園」と「映画 紅の豚 や 魔女の宅配便 の街のモデルになった絶景の街」という2つの大きな見所があるとのこと。


その時写真を見せてもらったが、確かにお薦めしたくなるのも分かる絶景であった。



イタリアから船で1本だし行ってみるかー



ルート変更にも無理のないタイミングだった事もあり、そんな軽い気持ちでクロアチアを予定に組み込むのだった。





朝7時、クロアチアの海の玄関口、スプリト(Split)の街につく。


身体中が痛い・・・



因みに昨晩の寝床は、フェリー船内の床だったりする。


フェリーの最低ランクのチケットが、まさかの部屋なしで「廊下で寝て😃」と言われるとは思わなんだ・・・



廊下と書いて寝床と読む

寒い。

「最低ランクチケットだから雑魚寝部屋かな~」なんて、部屋ありきで考えてた僕が甘かったようです。





クロアチア上陸。


降りたら目の前にバスターミナルがあったので、自然公園行きのバスチケットを購入した。



スプリトからは絶景の街行きのバスもあったが、お互い方角は南北で逆。


クロアチアを出たあとはギリシャまでバルカン半島を南下するつもりなので、南にある絶景の街は後に回し、先に北の自然公園に行くことにした。



バスの出発は1時間後。


それまで暇潰しに売店をさ迷っていると、偶然日本人の女の子に遭遇した。



彼女の名前は庄ちゃん。


自分とは逆回りで世界一周中らしい。


お互い久しぶりの日本人ということで、旅の話で盛上がった。



バックパッカー、庄ちゃん

多分マイナスイオン発生機に並外れた行動力を搭載すると彼女ができあがる。



庄ちゃんは北から下ってきてもうクロアチア終盤らしく、あとはこれから南の絶景の街へ行って首都へ引き返すのだとか。


ビス島の青の洞窟首都の失恋博物館なんて面白かったですよー・・・なんて、クロアチアの他の見所を可愛くお薦めしてくれた。



例のごとくろくに調べずに入国してしまったので、体験されたばかりの生きた情報はとても助かる。


お返しにこちらもヨーロッパの情報を渡しておいた。




しかし庄ちゃんと会話してると癒されるわー・・・




庄ちゃんの乗るバスはすぐに出発してしまったので、一緒にいたのは結局30分足らず。


しかし何故だか後ろ髪を引かれるように、一緒に過ごした売店を振り向きながら自分のバスへ乗り込むのだった。




バスが道中で突如故障

代車が来るまで全員炎天下に放り出される。

前途多難。






途中休憩で立ち寄った休憩所は、スタッフに猟師がいるのか動物の剥製展示会場になっていた。

クマ、シカ、イノシシ、キツネ、アナグマ・・・

ほとんど日本と変わらないラインナップに少々驚きつつ、クロアチアの森では野宿しないぞと固く誓う。





スプリトからバスで揺られること5時間。


本日の目的地、プリトヴィツェ湖群国立公園に到着した。



プリトヴィツェは先述の通り、無数の滝と湖が織り成す自然公園である。


見所は上流の小湖群と下流の大滝群に別れており、面積自体もかなり広い。



なのでほんとは1日かけてまわりたい所だけど、ついた時点で時刻は昼過ぎ。


帰りのバスが夕方には来てしまうので、残念ながら今回は足早にまわることにした。




プリトヴィツェ湖群国立公園の全体図

湖群の周囲は切り立った崖と深い森に囲まれている。




東西のエリア間の移動は船で



船から下を覗きこむと魚群

水が透き通りすぎて魚が宙に浮いているように見えた。












上流の小湖群

透き通った水と清らかな滝は見ているだけで癒される。




船で下流へ

水の透明度が高すぎて、船すらも宙に浮いて見える。








こじんまりした景色の多かった上流と代わって、下流はダイナミックな滝や湖が売り

しかしどっちも絶景です。








不揃いの間伐材で作った遊歩道が良い味出している



有名なアングルから1枚



たっぷり公園の魅力を堪能していたら、気づけば時刻は夕方。


バスの出発時間が迫っていた。



プリトヴィツェからは、首都 ザグレブのある北と、スプリトのある南へと向かう2方面のバスがある。


絶景の街は南にあるのでスプリトへ戻るべき・・・なのだけど、朝からどうしても気になり続けてる事があった。





そう、庄ちゃんのこと



小柄で可愛い、行動力と勇気のある女の子



今日中に首都ザグレブへ引き返すと言っていた女の子



あぁ、頭から離れない



そんな庄ちゃん





・・・が教えてくれた、首都の失恋博物館






気になる



めっちゃ気になる



なんだこの名前からして「ネタにしてください」と言わんばかりの館名は。


世界中にある博物館の中でも、メキシコのミイラ博物館以上の面白臭がする。



なにせ展示品が「物」ではなく「失恋」である。



どういうこっちゃねん



これで興味を惹かれないわけがない。


結局好奇心には勝てず、目的地から遠ざかるにも関わらず首都行きのバスへ飛び乗るのだった。



こんなにも失恋が楽しみなのは、生涯後にも先にもこれっきりだろなーw





・・・と、言うことでやって来ましたクロアチアの首都 ザグレブ(Zagreb)


東欧ということで多少警戒していたのだが、予想に反して綺麗で整っておりその美しさは西欧の街並みにも引けを取らないようだ。



が、そんなことはどうでも良い。



わざわざ遠征してまで首都に来た理由はただ一つ。


一直線に目的地に向け街並みを駆け抜けるのだった。





首都ザグレブの街並み


街中を走るトラムはダイヤが決まってないのか、勢いまかせに突っ込んではトラム同士でかち合いまくっていた。

「電車に渋滞はない」という概念を覆すための、新たな挑戦であると思われる。





いりくんだ路地を抜けて丘の上まで上がると、立ち並ぶ民家の中にお目当ての目的地が見えてくる。




ジャーン


Museum of Broken Relationships 


ここが和名 失恋博物館らしい。


かなりこじんまりとしている。


とりあえず入場するか。




ここ失恋博物館はその名の通り、「失恋とその遺品」がコンセプトになっており、世界中から寄贈された思いでの品とそれに纏わるエピソードが展示されていた。


その内容はなんてことないカップルの破局から、熟年離婚、禁断の愛(浮気)、死別、黒歴史にしかならないような思い出ポエムなど笑える物から泣けるものまで千差万別。



人あるところに歴史あり



たった数部屋しかない小さな博物館であったが、どこまでも「人間の感情」という物について深く考えさせられる素晴らしい博物館であった。


遠征してきて本当によかったと思う。




入り口でガイドブックを渡されるので、英語ができなくても楽しめる。


せっかくなので多くの人に興味を持っていただけるよう、一冊の本に纏わる物語を紹介したい。




「ボブ ディラン タランチュラブック


17才の時に、アメリカのボーイフレンドから貰った本。「獰猛な狼が好きな○○へ」と私に宛てた手紙が書いてあった。

そんな彼が、その後何年も私の両親をつけ回し、最終的には性転換し、挙げ句の果てに、生まれ変わった自分の名前として私の家族の名前を使うとは、その時は想像もしてなかった。」


・・・


事実は小説より奇異なりと言うが、確かに理解ができるだけ小説の方がまともである。




さてそんな失恋博物館だが、現在も絶賛失恋の寄贈を募集している。


今回展示された中には日本人の物は無かったので、是非我こそはと思う方、自分の傷を笑い話に変えてしまいたい方、自分の失恋を誰かの勇気に変えたい方は是非博物館へ一報入れていただきたき、日本の失恋も世界にアピールしていただきたい。



今日も失恋博物館では、世界中の失恋の傷をアートに昇華し癒している。




そんなクロアチア前半戦でした。




失恋博物館の入り口にまねきねこ

客を呼び込んでいるのか失恋を呼び込んでいるのかは不明。




クロアチアの名物料理のB級グルメ、ブレク(Burek)

一口なら美味だが、油っこいので完食すると確実に胃もたれする。




あなたの背後にもSM男が現れるかも(海外出店的な意味で)



街の電柱

平和そうに見えるクロアチアだが、20年前の紛争の傷は見えないところに残っているのかもしれない。







鉄道に乗って、いざスプリトへ大返し!





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ローマで祝日



スペイン サンティアゴを出発してちょうど70日目。


8月27日早朝、巡礼最終目的地であるローマ市内のバチカン市国に着く。


イタリアの首都と言うことでパリのように侵入に苦労するかと思っていたのだが、
ローマの環状道は地下を通っていたことと、侵入が明け方早朝で道ががらがらだったためにあっさりと中心部についてしまった。


最後にしては、大分拍子抜けだ。




とりあえず、ゴール



・・・・なのだけど、なぜだか感動も達成感も全く湧いてこない。



数千㎞の道程を越えてきたにも関わらず、ただ「着いた」という事実を坦々と受け入れる自分に自分で疑問を抱いた。



モン・サン・ミッシェルに辿り着いたときや、アルプスを越えたときは心の底から喜べたのだから、ゴールまで来たらそれ以上のなにかが込み上げてくると思っていたのだけどな。



どうした、自分?



数百メートル先にゴールの聖地を眺めながら、自分の中の疑問が拭えないでいた。




なんにせよまだ時間が早いので、一旦バチカン市国を離れる。


入場が始まるまで時間があるので、それまでローマ市内の観光と宿の確保をすることにした。


 


バチカン市国の広場からまっすぐ進むとぶつかるのがサンタンジェロ城


元々は霊廟だったが、後に要塞化。

バチカン市国からの近さもあって、有事の際はローマ教皇の避難所として活躍したらしい。


そのため、バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂とは地下道で繋がってるという噂があったり、城の名前が日本語に直すと「聖天使城」だったりと、ロマン溢れる話には事欠かないお城。






城の前の橋には10体の聖天使が並ぶ






サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂


かつてローマ教皇が隣接した宮殿に住んでおり、ローマでもっとも格の高い教会として扱われた。
そのためやたらとでっかい。


カテドラル(司教座のある聖堂)なので、巡礼地の1つ。






ローマの代名詞「真実の口」を展示しているサンタ・マリア・イン・コスメディン教会は、街の中心部から大分南に外れたところにある。


目立ちづらい所にあるので、人気のない時間に行くと発見が難しい。


かといって教会の開いている時間帯に行くと、これのみ目当ての観光客で周辺がごった返すためそれはそれで対面が難しい。


多分世界一有名なマンホールの蓋。





11時、あらかた市内の観光終了。


宿泊施設はやはり有名観光地だけあってどこも混雑していたが、無事なんとかテルミニ駅周辺に宿をとることができた。



これであとはバチカン市国に行くだけ。


大聖堂でゴールの証明に、巡礼手帳にスタンプを貰うだけだ。



それと、もう1つ。


以前から決めていたのだが、自転車もバチカン市国の人へ譲り渡すことにした。


貰ってくれるかどうかは不明だが、一応キリスト教の聖地で購入し、いくつもの聖域を巡り聖地へと旅して来た自転車。


キリスト教徒の人にとっては、きっと縁起のよい聖なる自転車と映るに違いない!・・・と、思う。



まぁ、なんにせよ個人的には思い入れのとても強い自転車。


郵送の余裕がない以上この街でお別れせざるおえないのだが、それならば粗大ごみとなったり中古屋に流すよりも、誰か顔の見える人に末長く可愛がって貰いたいというのが人情というもの。


価値を理解してくれる、情の深い人に貰ってもらえると嬉しい。




そんなことを思いながら、人にあげる前に最後のメンテナンス。


荷物を積み込むために大分荷台を改造していたので、それらの余分なパーツを取り外すために手をかける


・・・が、




外れない。


いや、外せない。



頭が考える作業とは裏腹に、全く手に力が入らないのだ。



自分の意思に反するように


いや、まるで自分の本当の意思を写し出すかのように



ここに来て、やっと朝の違和感の正体が、


自分が本当はどうしたいのかが分かった






終わりたくない




余力を残したまま、時間を残したまま



こんなところでゴールにしたくない。



まだ行ける


だからもっと先へ行こう



身体中が、自転車が、叫んでいるのが聞こえた。





悩んだ末自分が出した結論は、



意に反し、ここで自転車を手放しチャリ旅を終える事にした。



気持ちを圧し殺した理由は、時間、資金、季節、その他いくつかあるのだけれど、一番大きいのは自分の性格だ。



聖地 バチカン市国がゴールとして納得できないなら、どこなら納得できるか?



日本



そう考えたとき、自分の中で即答で答えが出た。



そして、自分は決めたらやる。 


間違いなく、やる。



いくらかかろうが、何年かかろうが、途中の道のりがいくら治安が悪かろうが


最悪途中で野垂れ死ぬ事になろうが



間違いなく、挑む。


 嬉々として




あまりにもリスクが高い


だから涙を飲んででも、ここで終わりにしておく事にした。



いつか後悔するかもしれないが、この選択が間違いでなかったと信じたい。


そう思いながら、道端の水道で、最後に自転車を労るように洗った。





再度バチカン市国へ向かう。


バチカン市国は、言わずと知れた世界最小の国である。


そのサイズはディ○ニーシーより小さいながら、ローマ教皇が住まうカトリック教総本山として国自体がキリスト教3大聖地に数えられ、世界中の教徒が集う神聖な土地となっている。

(あと2つは、スペインのサンティアゴとイスラエルのエルサレム)


また国自体が世界遺産にも登録されているため、世界中の観光客が集う土地でもある。



そう、観光客が。




サン・ピエトロ大聖堂入場待ちの行列



うじゃあ



分かっちゃいたけど人、人、


キリスト教の聖地とはいえ、そこにサンティアゴや教会のような厳かさ、謹み深さ等は一切無く


あるのは記念写真を撮ろうと必死に先を急ぐ観光客達と、そんな観光客を下手なところに侵入させまいと要所を守る衛兵達の殺伐とした空気だけである。



え?俺の聖地巡礼の旅、こんなところで終わるの??



もんのすごく帰りたくなってきた。



一応断っておくと自分はキリスト教徒ではないが、この聖地巡礼の旅をするに辺りお世話になった教会に対しては最大限の敬意を払ってきたつもりである。


当然のルールとして教会内では、無闇に肌を見せず、騒がず、写真を撮らず。

祈る人の邪魔はせず、厳かな気持ちを忘れず粛々と礼節をもって巡ってきた・・・のだけど。



パシャパシャ‼


わいわいガヤガヤ‼!


へーいヘーイ‼




・・・神聖さも厳かさも欠片もない(泣)


とりあえず目の前の韓国人カップル、この行列の中で日傘を振り回すのはやめてもらっていいだろうか? 目に刺さりそうで怖い。





厳しい荷物検査を通ったあとは、バチカン市国メインのサン・ピエトロ大聖堂へ入場する。

ここは撮影可だったので1枚だけ中を撮らせてもらい、その後最奥で最後の祈りを捧げた。


これで、よし。


やることは全部やった。


あとは巡礼手帳にスタンプを貰えば、その瞬間が自分の巡礼のゴールだ。


これまでの旅路に想いを馳せながら、スタッフに巡礼スタンプの場所を尋ねる。




「え、なにそれ?」



・・・



え?


聖地のスタッフが、聖地巡礼の存在を知らない・・・だと?



かなりの驚きである。



通常ヨーロッパの巡礼地に指定されているカテドラルでは、どんな教会でも巡礼手帳を見せただけで事情を察してもらえるのが普通なのだけど・・・



その総本山にてゴール地点のスタッフ、存在を知らず。



しかもこれが一人だけではないうえに、その後あっちに行け、こっちに行けと高圧的な態度でたらい回しにされるのだから流石に腹がたってきた。


知らないならせめて素直に知らないって言ってほしい




バチカン市国の安全は、伝統としてスイス人衛兵が守っている

印象に残るその服装はミケランジェロ考案なんだとか。





たらい回しにされ続けて1時間後。


何故だか観光客の行列に並ばされたあげく、気づけば傾いた螺旋階段を上へ、上へと上がらされていた。


うん、間違いなくこの先にスタンプは無いよな。



分かりきってはいるが道が狭くて一方通行な上、足の置き場も無いほどに混雑してるとなれば流されるままに進むしかない。


どこに着くのか分からないが、とりあえず空気が吸いたい。


自由という名の空気が吸いたい



人工過密地域とか普段とギャップがありすぎて酔うんだって・・・(泣)





で、着いたのは写真中央塔天辺のサン・ピエトロ大聖堂頂上部。



眼下にはサン・ピエトロ広場。その先にはサンタンジェロ城が見える。


ローマを一望できる景色は確かに素晴らしい・・・のだけれども


どう考えても求めていたものではないよな、これ。



そして僅かな滞在時間の後、チューブに押し込まれた点滴のごとく後続に追いやられ、すし詰めで再度細くて長い通路を下らされるのだった。


ああ、この登り降りだけで病気になりそう・・・(泣)





さらに一時間後に衝撃の事実。


巡礼オフィスがバチカン市国の目の前。要は国外にあることが発覚。


最後のスタンプは大聖堂ではなく、そちらの事務所で押して貰ってとのこと。



さんざん振り回されたあげく、旅のゴールが国外??


・・・はぁ


なんか疲れすぎてどうでも良くなってきた。



あまりにも残念な結末だが、これも1つの巡礼の形なのだろう。


粛々と受け入れ事務所を尋ねる事にした。



巡礼事務所

一見分かりづらいが、よく見ると「ペレグリーノ(巡礼者)」と書いてある。



受け付けにいって、おねーさんにスタンプくださいと一言。


これでポンっと押してもらって旅も終わりかと、やるせなさに耐えながら巡礼手帳を渡すと、受け取ったおねーさんの表情が・・・



一瞬で、変化した。



手帳を見て目を見開き、そのまま食い入るように真偽を確かめている。


その顔からはありありと、信じられないといったような驚きの感情があふれでていた。


彼女は一瞬で、自分の旅がどんなものだったかを理解してくれたのだ。



そして彼女は声をあげる。


「みんな、見て! この人スペインからアルプスを越えてやって来たのよ‼」


スタッフ一同それを聞いて大騒ぎ。


皆で自分の事を褒め称えてくれ、貰えないと思っていた巡礼証明書も発行してくれた。




嬉しい。



何よりも、自分の旅の価値を正しく理解してくれたの事が嬉しい。



今日1日空っぽだった心が、やっと満たされた気がした。






70日に渡る自転車の旅は、ここで幕を閉じる。


しかし世界一周の旅はまだまだ続くし、これからも多彩な国が無数に目白押しである。


ただそんな中、もしまた機会を見つけれたのならば


そのときは再度、ペダルを踏み出してみようと思う。





それまでに、ついた筋肉が贅肉に変わらないよう気を付けなきゃなぁ・・・










せっかくなので、そのまま事務所に自転車の相談を持ちかける

ちょうど欲しいという人がいたので、巡礼事務所に勤めるタウロ君(20)に無償で譲り渡す事にした。


どうか最後まで大切に使ってやって欲しい。




自転車を譲り渡すと、お礼にとタウロはビールとピザを奢ってくれた

バチカン市国の日陰に腰掛け、巡礼証明書を眺めながら一杯。


美味い


気のせいだと思うが、ちょっと格別な味がした。




ボロボロになりながらも、最後まで付き合ってくれた巡礼手帳

見た目は小汚ないが、自分にとっては大切な誇りだ。


・・・しかし後日、実家へ送る荷物に混ぜた際、巡礼証明書やその他の荷物と共にその消息が途絶える。


・・・僕の誇りは、今も世界のどこかを漂っています。




背面コイン投げ会場、トレヴィの泉は残念ながら絶賛改修中




あ、ここ車のCMで見た気がする






スペイン広場にて、謎の男に突如腕にミサンガを巻かれる。


男は頼んでもないのにサービスだからと笑顔で巻き付け、簡単にほどけないようきつく縛ったタイミングでサービス料を寄越せと態度を豹変させた。


が、まぁイタリアでは珍しいけど他国ではよくある王道な詐欺パターンなワケで。


サービスって言ったよね?ありがとうイタリア人大好きじゃあねチャオ アディオス‼ すたこらさっさー


と、相手が面食らってるうちにとっとと歩き去る。


向こうも追ってきたが、こちらに払う気がないと分かると渋々引き返していった。


こちらの勝ち。


タダで手に入れたミサンガに気を良くするも、すぐにこれが騙された人が着けるバカの証明書の役割もしてることに気がつき、早々に噛みちぎった。



イタリアにお越しの際は、スペイン広場周辺は達の悪いのが出るので注意されたし。




路上の売店で堂々とこんなパンツが販売できるのは、ローマならでは




バチカン市国、サン・ピエトロ広場にて



70日間付き合ってくれた相棒と


道中に出会った全てに感謝を込めて。






次回、アドリア海を越えます。




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長靴は一日にして成らず


8月18日


遂にアルプス山脈を越え、ヨーロッパ自転車の旅 最後の国となるイタリアに入った。


イタリアは言わずと知れた文化と芸術の国であり、同時に四季があり、面積が日本列島と同じぐらいの大きさであり、周囲は海、内陸は山がちな地形であったりと日本と意外な共通点が多い国だったりもする。


あと形が長靴に似ている。



今回はそんなイタリアの、北部からゴールであるローマ内のバチカン市国まで走った9日間の道程を写真でご紹介したい。






イメージし辛いかも知れないが、イタリアはアルプス山脈にかかっているため北部は結構山がち


最高地点はモンブラン山の標高4810mと、実はスイス(最高地点4634m)よりも高かったりする。






途中立ち寄った街でパスタに挑戦。美味し!


店で頼むと意外にも、麺状のロングパスタよりもマカロニ等のショートパスタが出てくる割合が高い。


あとパスタは別にイタリア人の主食ではない。






北部から入ると一番始めに着く都市が、歴史と芸術の街 ミラノ(Milano)


そこらかしこに芸術作品の溢れたお洒落な街・・・と言えば聞こえはいいが、
大都市なうえにごちゃっとしてるので土地勘のないチャリダーにはパリと同じくしんどい街。






ミラノの見所その1、ドゥオーモ大聖堂


完成まで5世紀かけたその装飾はまさに圧巻!・・・なのだけど、
扱いは教会の筈なのになぜか入場料を取られる。


その後他所の街でも取られるのだけど、教会に入るのに入場料を取られたのはヨーロッパでイタリアだけだった。


何故だ?



※巡礼者の場合、カテドラルのみ無料になりました。






ミラノの見所その2   サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を展示していることで有名。


朝9時オープン直後にチケットを買いに行ったら、笑顔で「入場は6時間後になります🎵」と言われたので、こちらも笑顔で入り口のポスターだけ撮影して帰ってきた。


しっかり生を拝みたい場合は事前予約すべきです。






別の街でアイスでおやつ


選んだ店は味は最上、でも見た目は最悪。
適当に盛りすぎw


イタリアのアイスはどれも濃厚で物凄く美味しいのだけど、最後の一歩がいつも残念。




スペインに聖地までの巡礼路があるように、イタリアにも聖地 バチカン市国へと続く巡礼路がある


でも決め細かに道が整備されていたスペインと違い、大雑把な看板が建ってるだけなので巡礼者は大分苦労しそう。








北部の平野から地中海側に出るために、予期せぬ山越えに挑むことに


峠の標高は1041mとそれなりに高いのだけど、先日までのアルプス山脈と比べると余りにも平べったいので勝手に貧乳山脈と名付ける。


個人的にはそちらの方が好みだが、難関としては今一つ。





峠で出会ったドイツ人チャリダー、ダミアンとマンフレッド
仲良くなったので、この日は下山するまでツーリングした。


共に貧乳を極めた仲。






トスカーナ地方の歴史ある城壁都市、ルッカ(Lucca)


城壁に囲まれた市街地には、所狭しと100以上の教会がひしめいている。


てか街狭いのに教会が多すぎるΣ


住民全員を収容しても余裕で空きが出るんじゃないだろうか・・・?




広場で偶然見かけたルッカの音楽隊


熟練を思わせる演奏隊の透き通った調べと、対照的に全くもってやる気のないチアガール達のダンスのコントラストが印象的。


必死に演奏しているバックのためにも、もう少し彼女たちには頑張っていただきたいところ。




教会の中にあった所蔵画の1枚


「神様の出現で戦いを止める兵士たち」
というコンセプトなのだと思うが、パッと見
「空から全裸のおっさんがどや顔で降ってきたため、変質者の出現に怯え逃げ惑う兵士たち」
に見えなくもない。



そも突如空から全裸のおっさんが笑顔で降ってきたら、それが神だろうとなんだろうと戦いとかどうでもよくなる気がしませんか?






ルッカのご近所にあるのが、斜塔で有名なピサ(Pisa)
ピザではない。


斜塔が傾いている理由は地盤のモニタリングの甘さが原因らしいが、傾いた結果ガリレオ・ガリレイの実験会場として活躍し、その実験結果が現代物理学に大きく貢献するのだから世の中なにが吉と出るか分からないものである。




本日の献立 「ピサの斜塔のドゥオモ乗せ ~2体のハニワを添えて~」





イタリアの西海岸は砂浜が少ない
・・・ので、イタリア人達は岩場だろうとバカンスを決行する。


そもそも思い直して見れば砂浜自体世界でも余り見かけないような・・・
どこいっても砂浜がごろごろしてる日本は、やはり大分特殊な地形なのかもしれない。




海岸線には南国風の巨木が並ぶ
この~木なんの木気になる木。




突如後輪の内側の軸が折れる


結果後輪がこんにゃくのようなしなやかさを手にいれることに!
漕ぎ辛いっΣ


この日は日曜日でどこも店が閉まっていたため、次の日まで修理できず。
なを、この故障が今回の旅中最後の自転車修理となった。


今回の旅での故障リストは以下の通り


パンク 2回(前輪、後輪一回づつ。外ゴムのすり減りにより引き起こされたもの)、左ペダル破損 2回(プラスチック性だったためかまっぷたつに割れた。ステンレス性に換えることで克服)、荷台破損(ネジの緩み)、ペダル軸破損(踏み込むときの負荷のかけすぎ?)、後輪内部破損(内側の軸が数本折れた)


計7回ヵ所


結論、ペダル割れすぎ






森を抜けると突如目の前に古代都市、ピティリアーノ(Pitigliano)が現れた!


狙った訳じゃないのに偶然穴場スポットに着いたり想定外の事が起こる。
これだからチャリ旅はやめられない。




あのソース顔の太陽に大きな鏡で光を当てたくなるのは、自分だけじゃない筈





あと残すところ120㎞



遂にローマまで1日の距離まで来た。



残り時間をどう過ごそうか?



干渉に浸りながら明日の計画を漠然とたてながら走っていると、ふと次の看板が目に留まった。






【ROMA  63㎞】




・・・




60㎞どこ消えた!!??ΣΣ



結局あと60㎞の方が正しいと判明。
明日の計画は立て直しとなる。



あぁ・・・最後ぐらい綺麗に終わらせてよ(泣)





6月頃は22時まで明るかった空も、8月後半に入ると20時には沈むようになった


それはまるで「旅ももうすぐ終わりだ」と、どこか急かされているようにも感じた。






そしてスペイン出発から70日目・・・







ゴールが、見えた







ローマまで来ました!




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