What is Your Dream?

2015年4月3日から、世界一周中の25歳♂です。
世界中の人に夢を尋ねてそれを紹介するブログができたら。そんな理想と、
そうは問屋が卸さない現実の壁に世界中で四苦八苦する様子をお届します。
人生やらかしてなんぼ!まってろ、世界!! 
※2016年3月23日に無事ゴールしました! 応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました!

フランス旅 四方山話


ドルドーニュ渓谷を満喫した後は、フランスの北の端にあるモン・サン・ミッシェルまでフランスを北上することにした。


今回はその道中と、ゴール地点のモン・サン・ミッシェルを写真で紹介したいと思う。





フランス北部は森ばかりだった南部と打って変わって麦畑だらけ

金色の野に降り立ちたい人には夏がお勧め。



わらの城

制作者である「3匹のこぶた」の一番目のこぶた曰く、

「前回の敗因は息を吹き掛けた程度で吹き飛んでしまう建物の軽さにあった。今回はその点を踏まえ、重量化に重きを置いたぶう。」とのこと。

それに対し狼は、「火をかけたら調理する手間が省ける」とコメントしている。




フランス中部の街、アングレーム(Angouleme)

ヨーロッパ最大の国際漫画際を毎年開催しているらしく、街中がアートと化していた。




日本料理店はヨーロッパ中至るところにある

でも日本人が経営してる事や、本物の日本料理が出てくることはまずない。

ヨーロッパ中の人に、「なぜ経営者は中韓ばかりなの?」と聞かれたが、こっちも不思議に思っています。




ロワール川に生息する銀鮭

別名 アイアン・サーモン。

川を遡ると白雪姫の城のモデルになった古城群で有名なロワール渓谷に出るのだけれど、今回はルート上断念。




ヨーロッパの田舎では、普通にウマが生活の一部として溶け込んでいる

ペット感覚で育てているのか、バカンスに行くときも牽引車に積んで連れていくのをよく見た。



とあるスーパーの前にかかれていた落書き

なにを主張したいのかは分からないが、やたらと印象に残ったので載せておく。



とある村の入口

磔谷かと思ったら案山子だった。

写真には写ってないが、両脇の街路樹に無数にはりつけられていた。

カラスに効き目があるかは分からないが、その不気味な光景に人は確実に逃げ出しそうである。




別の村にあった、フランスの人気作品?の人形群

みんな何かを諦めきった表情をしているのが印象的。

なにか・・・辛いことでもあったんですか?



この旅で学んだこと

「ペダルはこぎすぎると割れる」



どんな小さな村にだって、必ず1体はキリスト象が立っている



必ず村にあるもの その2 「電光風速計」

理由は不明。でもやたらとある。

農業に関係してるのだろうか?



「村」以上の「町」にあるもの その1 「ツーリストインフォメーション」

全く見所のない町ですらあったりするのに、どう考えても必要だろうという大都市には無かったりする不思議な施設。



フランス人のヤングヒッチハイカー

彼は自分と逆ルートで、モン・サン・ミッシェルからスペインのサンティアゴを目指すらしい。

先は長いぞ。楽しめ。




・・・そして、フランス入国13日目


やっと遠くに見えてきたのが・・・




ゴール地点   モン・サン・ミッシェル!!


長かったー‼ なにげにスペインから2000㎞はあった‼


この時 笑顔。

周りの人がドン引きするぐらい  笑顔。


にこにこにこにこにこにこにこにこウハハハハハハハハハハハハハ!


嬉しすぎて感情の制御が効かなくなるということは、いくつになってもあるらしい。


7月21日にモン・サン・ミッシェルでやたらとテンションのおかしい日本人を見かけたという方、それは間違いなく僕です。


でも許してください。

とにかく嬉しかったんです。



せっかくなので中の様子もレポート。



モン・サン・ミッシェルは海に浮かぶその特殊な地形から、

礼拝堂が建築された700年頃より、修道院 → 要塞 → 監獄 → 観光地 と、時代と共にその役割を変えてきた。

結果場内には、様々な時代の遺物が所せましと広がっている。




日本人観光客にはモン・サン・ミッシェルは大人気らしく、表示看板には大抵日本語表記が。

この夏巡ったなかで、ここはもっとも日本人に優しい観光地だと思われる。

でもお土産売り場をやたらと日本刀で埋め尽くす必要はないのでは・・・?




天辺にある修道院からの眺め

下を見ると、あちらこちらで干潟を歩くツアーが開催されていた。




実はカトリックの巡礼地のひとつでもある

巡礼手帳を事務所まで持っていくとスタンプがもらえる。

今回は祭期間のため閉まっていたが、巡礼者のための巡礼宿もあり。



モン・サン・ミッシェルの名前の由来は、フランス語でMont(山)・Saint(聖)・Michel(ミッシェル=大天使ミカエル)

つまり「大天使ミカエルの山」となる。


逸話によると、700年頃オーベル教という人のところに大天使ミカエルが降り立ち、「岩の小島に聖堂を建てなさい」とお告げを告げたらしい。

が、オーベルさんは空耳だろうと無視。

怒ったミカエルさんは、まさかの指でオーベルさんの頭蓋骨に穴を開けるという制裁を決行。

「これ以上穴を開けられたくなければ・・・」という無言の圧力に屈したオーベルさんにより、モン・サン・ミッシェルは建築されることとなったらしい。


大天使の称号を承るミカエルさんですが、やり口にジャ〇アニズムを感じるのは私だけでしょうか・・・






これにてチャリ旅前半終了。

でも巡礼地と観光地を巡る旅はまだまだ続きます。




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自分の速度で


スペインでの巡礼を終了した後も、このままヨーロッパで自転車旅を続けることにした。


理由はいくつかあるが、1つは速度の問題だ。



ヨーロッパの旅は基本的に、幅広い交通機関を駆使して如何に見所を効率良く、足早に回るかが命題となる。


足早になる理由は単純。


恐ろしいまでの物価の高さであり、下手をすると1日1人は諭吉さんが嬉々として宙を舞うためである。

(国ごとに差はあるが、大体日本の物価の1.4~2倍 著者調べ)


そのためどうしてもコースは首都やアクセスのよい観光地を中心に回る事となり、ヨーロッパは他の国のように「気まぐれで僻地へぶらり」といったスタイルで旅をすることは難しい地区であると言えるだろう。



しかしここでひねくれた自分は思うのだ。



たった数日間観光地を巡るだけで、その国のなにが分かるのか? ・・・と


そも観光地といえば大抵客向けに街並みもサービスも整備されており、例えるならば化粧バッチリ オシャレな服で身を固めた戦闘モードの女性のようなもの。


しかし自分の旅の目的は合コンではない。


その国の素顔に会いに行くことである。



そのためには数日間では短すぎる。


もっとゆっくりと、予算を切り詰めて、観光地化してない地域を見に行くにはどうしたらいいか?


そう考えたときに自然と思い付いたのが、チャリとテントという方法だった。



これならば宿泊費と移動費を大きく削れるし、目的地へ向かう合間に無数の素顔の町や村へ立ち寄ることができる。


そしてきっと自分の望んだものに出会えるのではないだろうか?


そう思い、ヨーロッパは自転車でゆっくりと巡ることにしたのだ。



先に結果を述べるとこの旅のスタイルは大当たりし、ヨーロッパ中の沢山の素敵な素の姿を見ることができた。


・・・まあやってることは例えるなれば、化粧前のスッピン姿の女性の家に突然無断で入り込み、「うん。やっぱり女は笑顔が一番の化粧だよね!」と笑顔で言い放ち立ち去っていく変質者そのものであり、当然のように手痛いしっぺ返しも沢山食らうのだけれど・・・



これからのblogは暫くの間、そんなヨーロッパを自転車で巡った旅の様子を記して行きたいと思う。






巡礼から放浪へ


宿や道程が整っていた巡礼路とは違い、ここからはルート決めから宿泊まで自分で行う事になる。


とりあえず道端でフランスの全国地図を購入。防水加工なのが嬉しい。


早速拝見。   

  

一枚物のフランス地図

でも国土が大きすぎて、表と裏で一枚。



う~ん、広い。


国自体も広いのだけれど、何より恐ろしいのが街と街との間隔が凄まじく広い。


狭くても数10㎞、広いとこでは100㎞近く離れていたりする。


「隣のイ〇ンまで200㎞」というノリの看板がごろごろしている北海道といい勝負かもしれない。

まあヒグマが出ないだけマシか。


とりあえず目的地を数百㎞先の、「世界一美しい村100選」に選ばれているドルドーニュ渓谷に決定。


なを、「世界一」なのに「100選」って、選びきれとらんやんけとは突っ込んではいけない。


きっと大人の都合さ。うん。


とりあえず進路を北東とり、渓谷に向かって走り出した。


森を上って


森を下って


小さな町を抜けて


森を通り抜けて、ヒマワリ畑を抜けて


森を掠めて、放牧地を眺めて、


森を森して森森して


・・・・



フランス南部よ     森しかないのか??



まるで畑のように平地に広がる森、森、森。


というか人工林。



ちょっと林業視点で話をするなら、木を切り出すのに林道を付ける必要もなければ土砂崩れの心配もない様子。


平地なので苗木を守る獣害柵の設置も簡単そうだ。


国が違うけど、ベルギーでの集材風景

公道の片側を特に表示看板とかなく占拠。

いや、そんだけ平地があるんならトラック中に入れて作業しようよ・・・

でもヨーロッパの林業は大体こんな感じでした。



日本の林業界では近年、「ヨーロッパの林業を参考にしようぜ☆」という話が持ち上がっているが、ここではっきり言っておこうと思う。


参考になりません。地形が違いすぎます。


こっちのノリで日本ではげ山を作りまくったら、土砂崩れと河川流域の生態系の崩壊が目に見えるようである。


参考にされる最は、日本の地形でも応用可能かどうか充分に検討されたうえで施行していただきたい。



因みに人目に付き辛いという理由から、人工林は寝床としてよく利用しました。


そんなフランス前半戦。




水があるということ


日本で生活していると実感しづらいかも知れないが、世界的に見れば「綺麗な水」と言うのはとてつもなく貴重なものである。


意外かも知れないが、それはヨーロッパでも例に漏れず。


確認した以上では綺麗な水はアルプス山脈周辺などにしかほぼ存在せず、平地の国にある川や湖は緑色に濁っているのが普通である。



それがどう旅に影響してくるのかと言えば、大きく困るのが2点。


容易に風呂にはいれないことと、洗濯ができない事だ。


因みにこの旅では宿泊施設には(もっぱら電源確保のため)週1でしか泊まらないため、川や湖で水浴びすることを便宜上「風呂に入る」と呼ぶ事にする。


シャワーや湯船?きっと都市伝説さ。多分。



話を戻すと、飲み水はなんとかなる。

スーパーで多目に買っておき、切れたら小まめにバー等で補給してもらえばいいのだから問題はない。


まあフランスは先述の通り街の間隔が広い上に、中規模以上の街にしかロクに店が無いため1度補給を切らすと兵糧攻めを食らい地獄を見るはめになるのだけれど・・・



だから問題は上2つである。


これに対する対抗策は同じく2つ。



1つは「洗濯もしないし風呂にも入らない」だ。

いや、正しくは「できないし入れない」なのだけど・・・


結果として日々半端ない運動量に関わらず同じ服を連日着る羽目になり、

旅の後半に至っては、

「そもそも服を着なければ洗濯しなくていいじゃんヒャッホーイ🎵」

と、常に上半身裸に水着というスタイルに進化する事になる。


※上半身裸のチャリダーはヨーロッパでは普通にいます。自分だけが特殊ではないので悪しからず。



そして2つ目の対抗策が、「水場を見つけたら人目を気にせずやるべきことを全力でやる」だ。


分かりやすく言うならば、「街で無料で使える蛇口を見つけたら、即洗濯と水浴びに勤しむ」という事である。


※環境に配慮して洗剤等は使っていません。

また、街中では全裸になったりせず、「頭から水を浴びる」「体を濡れたタオルで拭く」程度に留めています。

参考にされる場合はTPOをわきまえた行動に徹しましょう。



無論人通りの多さと、「どこまでなら許されるか」という空気を全力で読んだ上での行動だが、そうでもしなければ水にありつけないのだと言うことをどうか分かっていただきたい。



そんなワイルドライフを送りながらふと思う。


この現代でさえ地を行くのにこれほど水に困るのならば、昔の旅人達にとって水はどれ程貴重なものだったのだろうか。


地図もなく、一寸先も分からない道のりを限られた水で歩くという事にどれ程勇気がいるのか?


身をもって経験した今ならば恐ろしいほどに分かる。


彼らは行く先で水を見つけたとき、きっと自分以上に歓喜し、そして神に感謝をしたことだろう。


そも人は水から離れられないからこそ、川の側や水の出る土地に町を造り、水を求めて争い、水が多く得られる土地は街として発展してきたのだ。



しかし交通網が整備されて水道技術が飛躍的に進歩した昨今、人はそのありがたみを忘れ、容易に汚すようになってしまったと思う。


綺麗な水の大切さ


それは世界が忘れようとしている事で、同時に絶対に忘れてはいけないことなのだろう


そんな忘れ物に出会えた事に感謝



この良縁には、次の世代に熱と重さを帯びた言葉で伝えることで報いようと思う。



忘れてなんかやるものか



水場があったら・・・


即洗濯☆





7月11日の話。


調子に乗っていたら自転車の後輪がパンクした。


見れば後輪、ゴムがすり減りつるっつる。


こりゃ小さな段差でもパンクするわと納得すると共に、チューブが修理不可能な裂けかたをしていて途方に暮れる。



結局次の街まで20㎞手押しで進むことに。


しかし道のりは100㎞近い速度で脇を車がビュンビュン飛ばしていく大通りであり、同時に今日は土曜日なので街まで行っても自転車屋が開いてない可能性が高い。



こりゃあ今日はついてないなぁ



そんな事を思いながら、炎天下の中根性だめし。


フランスの街と街の間の道は歩行車道や自転車道など存在しないため、嫌でも車道の端を歩く事になる。


後方から大型トラックの轟音が迫ってくる度に、毎度覚悟を決めていた。


永遠と続く脇道走行



昼過ぎに命からがら大きめの街に到着。


道行くおばちゃんに近所の自転車屋を尋ねてみる。


しかし案の定街の中の自転車屋は本日クローズとのこと。


残念。


地図を見ると、確実に自転車屋のありそうな次の大きい街までは50㎞以上。

しかも明日は日曜日なので今日以上に店が開いてない可能性が高い。


※ヨーロッパではほとんどの店が日曜日は閉まる。



いっそこの街に月曜日まで住み着くか?


う~ん・・・ と頭を悩ませていると、目の前で響くクラクション。


顔をあげるとさっきのおばちゃん、愛車を携え颯爽と登場。


「乗りな✨」



おばちゃんは自転車を後方のトランクに詰め込むと、4㎞先の街外れの大型スポーツショップまで連れていってくれた。


店が開いてる‼    直せる!!!


しどろもどろにメルシー!と、感謝の言葉を伝えると、なんてことないさと言わんばかりにおばちゃんは颯爽と去っていった。


カッケー‼!✨✨✨ おばちゃんカッケー!!!✨✨✨✨✨


偶然にしては最高の出逢いだったと言えるだろう。


いくら感謝してもし足りないぐらいだ。



結果自転車も無事修復。その日のうちに再度こぎだす事ができた。



その日の夕方。道すがらの街に立ち寄ると、今日はなんだかお祭りムード。


盛り上がっている会場にこっそり首を突っ込んでみると、行われていたのは命がけの闘牛輪投げ。



前衛的すぎるΣ


どうやらこの競技、チーム対抗で如何に闘牛の突進を避けつつ角に輪っかをかけるかを競うらしい。



やってハラハラ、見ててハラハラ。


そういえば闘牛について調べたとき、「闘牛を殺したりせず如何に華麗に避けるかを競う競技が発展してきている」という記事があった気がするが、この事かも知れないな。


そんな事を思いつつ、最後までこのお祭りを楽しむのだった。



今日パンクをしなければ、20㎞も根性だめしをする必要もなかった訳だけど


パンクをしなければ素敵なおばちゃんにも会えなかったし、珍しいお祭りにタイミングよく参加する事もできなかっただろう。



良くも悪くも縁だよなぁ



そんな事を体で感じつつ、今日も縁に身を任せてフランスの大地を走り続ける





世界で最も美しい村100選に選ばれているドルドーニュ渓谷のベイナック村

アクセスは少々やっかいだが、とても美しい渓谷なのでこれからフランスへ行く人は是非ご一考を。

参考に所要時間をあげるなら、サン・ジャン・ピエ・ド・ポーから自転車で5日の距離✨



フランスのスーパーでよく見かけたのが、フランスパンの自動販売機

使ったことはないのだけど、いったいどこからパンを取り出すのだろうか・・・?



パックの果汁ジュースと飲むヨーグルトは、安い!美味い!!身体にいい!!!

と、3拍子揃った旅の必需品

飲みすぎてこの頃は、身体の細胞の8割が飲むヨーグルトで構成されていたと思われる。







見つめ合うと素直にお喋りできない  




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カミーノ・デ・サンティアゴ


7月9日


21日間に渡る巡礼を終えて無事フランス側国境の町、サン・ジャン・ピエ・ド・ポーにたどり着くことができました!


ほぼスペイン横断となる780㎞の道程を走りきることができたのも、途中様々な形で応援してくれた沢山のカミーノ支援者、そして途中でであった仲間達のお陰に他なりません。


何人かはこのblogを見てくれていると思うので、この場で感謝とゴールの報告をさせていただきます。


道中の暖かいご支援、本当にありがとうございました!


まだまだ道程の途中の人。

もう既に聖地にたどり着いた人。


様々かとは思いますが、それぞれが納得して帰れるよう、最後まで ブエン・カミーノ を祈っています。


では最後に写真でカミーノの締めを。


皆のゴールで自分のスタート、聖地サンティアゴ

聖ヤコブの眠るカテドラルは残念ながら改修中。

0㎞地点



カミーノ中は基本巡礼者用の宿、アルベルゲルに宿泊

キッチン、シャワー、トイレ、毛布が付いて1泊 5~10ユーロ。

共同、ドミトリーとはいえEUとは思えない驚きの安さ!




峠のてっぺんにある人口30人程度の村、オ・セブレイロ

石造りの建物が印象的。

郷土料理のカルド・ガジェコ(ジャガイモと野菜のスープ)は、霧雨のなか冷えた体にぴったり。

155㎞地点




外食はお金がかかるので、基本は巡礼宿で自炊飯

スペインのお店で売ってる野菜は日持ちする球状の物が殆どで、菜物が少ないのが日本人として辛いところ。

手間がかからないので、大体みんなパスタかサンドウィッチが定番メニュー。





テンプル騎士団の城がある大都市、ポンフェラーダ

城好きと騎士好きにはたまらない街。

城の中へは巡礼手帳を見せたらタダで入れました。

209㎞地点




モリナセカの巡礼宿の裏庭にあった「生木観音像」

四国のお遍路さんとの交流記念に、昨年香川のお坊さんが彫られたとのこと。

時間がたてば形を変える「生き木」の仏さんに、形を保っているうちに出会えた幸運に感謝。

217㎞地点




ひとっこ一人住まないような山奥の巡礼路にだって、一息入れたいところには移動式のバルが出店している

値段が少々高めなのはご愛敬。



小さい町の教会のてっぺんに必ずあるのがコウノトリの巣

人が多い所の方が天敵に狙われにくいのでしょうか?




ガウディ建築とチョコレートが有名な街、アストルガ

でもチョコレートは食べ逃す。

ここから先200㎞以上続く、麦畑しかないメセタ(台地)のスタート。

262㎞地点




中世の恋の逸話で有名な「オルビゴ橋」

なんでも話は1400年頃。

この国の姫に恋をしたスエロという騎士がおり、彼は愛の証として

「1月の間この橋を渡ろうとする者と戦い、誰一人この橋を渡らせない」

と宣言。

その後9人の仲間と共に一月間戦い抜き、見事スエロは姫様をゲットしたらしい。


今では美談として伝わるこの話だけど、よくよく考えたらなぜ国の要所を不法占拠した男が姫と結婚できたのだろうか・・・?


もしかしたら実際のところはあの宣言、

「貴方の国の交通の要所を占拠します。国民や物流にはとても迷惑をおかけしますがそれが嫌なら娘さんを僕にください」

という脅迫だったんじゃないだろうか?


で、王様が根負けして泣く泣く娘を差し出したのが一月後だった・・・

とかの方がしっくりくる気がするのですがいかがでしょうか?


そんなアホなことを真面目に考えてた290㎞地点






永遠と続く麦畑しかない大地

その道すがら、たくさんの巡礼者達と出会っては別れを繰り返す。

460㎞地点





中世の街並みを残す大都市ブルゴスは丁度フェスティバルのまっ最中

民族衣装を纏った女の子達の可愛さが尋常ではありませんでした。

490㎞地点



道端で見かけたジャガイモ工場のマスコットキャラクター

朝日がいい仕事をしている。

570㎞地点






どこの国の思春期もやることは一緒



スペインは駄菓子の種類が豊富!

思わず全種類買って袋詰め。次の日おやつにいただきました🎵


で、


この内まともに食べれる味がマー〇ルチョコだけってどういうことよ・・・(泣)


残念な気持ちでいっぱいの620㎞地点





スペインでは子どもの野外教育が盛んな様子。

色んな所で先生に連れられ外を歩く小学生を見かけました。


因みに写真の子達がやっているのは、「道行く人に体のどこかにサインを書いてもらう」という授業。


見ているだけでも面白い授業風景に心引かれた650㎞地点





道端で偶然知り合った松野さん

突如ハーモニカを吹き出したのにはびびりましたが、道行く人の足を片っ端から止めていくその腕前はお見事でした。


無から有を      何もないところから感動を産み出す


そんな人生の目標としたい人に出会えた670㎞地点




バルで朝食を頼むと決まって出てくるのが、パン(またはサンドウィッチ)、コーヒー、オレンジジュースのセット

飲み物が2つ出てくるのが不思議な感覚。





そしてやっとたどり着く、「牛追い祭り」の街 パンプローナ

祭りの最中は物価もホテル代も跳ね上がるので覚悟していくべし。





最後にして最大の難関、フランスとの国境ピレーネ山脈

標高1500mを越える難所も、自転車ルートで行くと標高1000mちょいと拍子抜け。

この山を一気にかけおりるとたどり着くのが・・・





始まりの街、サン・ジャン・ピエ・ド・ポー!


780㎞地点、遂にゴール!!!!!


長い道のりを歩んできて、今の気持ちを一言で言うのならば・・・





実感沸かない(泣)



街が小さいよー(泣)


見所全くないよー(泣)


誰もゴールを祝う仲間がいないよー(泣)



これがちゃんと正規ルートを走っていたのなら、巡礼証明書を貰ったり、共に歩んだ仲間と抱き合ったり、聖ヤコブ象に抱きついたりとイベント盛りだくさんなのでしょうが、逆走なのでそういった事は一切なく。


結局今まで通過してきた町と同じように過ごし、次の日にはフランスに旅立ちました。




モン・サン・ミシェルまでたどり着けたらちょっとは実感湧くのかなぁ・・・?





思いの外レストランが高かったので、バーガーショップで一人祝杯

21日間頑張った自分にお疲れさまでした。



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