What is Your Dream?

2015年4月3日から、世界一周中の25歳♂です。
世界中の人に夢を尋ねてそれを紹介するブログができたら。そんな理想と、
そうは問屋が卸さない現実の壁に世界中で四苦八苦する様子をお届します。
人生やらかしてなんぼ!まってろ、世界!! 
※2016年3月23日に無事ゴールしました! 応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました!

モロッコの事情


6月3日。


スペインを早々に後にし、ジブラルタル海峡を渡って モロッコ (Morocco)に入った。


モロッコはアフリカ大陸の北西に位置する日本の約1.2倍程の大きさの国だ。


昔から地中海を通して交流が盛んだったため、文化圏はアフリカというよりもアラブや地中海に近い。



今回は歴史の過程で様々な文化が混じり会った国、モロッコを紹介しようと思う。




ジブラルタル海峡


ヨーロッパとアフリカ大陸の間にある大西洋と地中海を繋ぐ海域 ジブラルタル海峡


国境にもなっているこの海峡をフェリーで渡るのが、スペインからモロッコに入る一般的なルートになっている。


ジブラルタル海峡は幅が14㎞と肉眼で対岸が見える近さも有名だが、通過する際印象に残るのはなんと言っても国境としての緩さだろう。


フェリー乗り場にて出国審査を行うのだが、荷物検査、身体検査は一切なし。


船内での入国審査も入国カードの書き方がよく分からないので適当に書いたら、赤ペンで丁寧に直してくれた上ノーチェックで入国させてくれた。



・・・良いのか、それで?



後で聞くとヨーロッパで出回ってる麻薬の多くはモロッコ産で、大体ジブラルタル海峡を渡って密輸されているらしい。


そりゃそーだ



因みにフェリーの運営事態も緩いらしく、特に理由なく出発が2時間遅れたためその日のバスを全部乗り損ねた。


・・・海峡を渡る際は午前中に港へ着く事をオススメします。



スペイン側 アルヘシラス(Algeciras)港の出国ゲート

荷物検査機は添えるだけ。



ジブラルタル海峡

遠くに見えるのがスペイン。




モロッコ側の港街、タンジェ(Tanjier)

交通量が凄いのに何故か信号機が存在しないため、歩行者は道を横断する際毎度根性試しを強いられる。




モロッコ客商売



モロッコは客引きのタチが悪い事で有名である。


道行く人が突如話しかけてきたら7割金目当てであり、頼んでもいないのに突如道案内をしだしたり荷物を強引に(マージンが貰えるホテルに)運んでいき、「サービスしたから金寄越せ」とチップをむしり獲っていくのがお決まりのパターンになっている。


また道端の露天もタチが悪いのが多く、路地を歩いていると強引に足止めされ店に連れ込まれる事もしょっちゅうだ。


そんな強引さに嫌けがさし、モロッコを嫌いになって帰っていく旅人も少なくはない。


かくいう自分もモロッコ前半はその一人であり、モロッコ人の商売態度に不満を覚えていた。



例えばフェズ(Fez)で体調を崩した時の話。



薬屋を探していたら、場所を知っているという少年が登場。


道を案内してもらったら何故か彼の家に案内され、薬屋を自称する兄が突如ツアーの説明を始めた。


「弱った体を治すためには砂漠ツアーが最適なんだ!!」 ・・・て、


なんでやねん



あまりの体調の悪さと法外な値段のふっかけに途中離脱を試みると、話を聞いたなら金払えと£20請求される不思議。


この旅初めて怒鳴りあいで喧嘩することになった。



それから1週間、良い人にも沢山会い大分モロッコに対する印象も変わったけれど。


客商売のタチの悪さは一生記憶に残るんだろなと思ってしまう今日この頃。



モロッコの客商売の方は、せめて病人には優しくしてあげて欲しい。





青の街 シャウエン(Chefchaouen)

ユダヤ教で、天空、神、平和、海など神聖なものを表す色として、町中が青く塗られている事で有名。

またハシシ(麻薬)の重要な産地で、タバコ感覚でヤクが手に入る事でも有名。

タチの悪い客引きが多い町 その1




モロッコの元首都 フェズ(Fez)

旧市街が迷路のような街並みになっていて、世界遺産にも登録されている。

肉屋でウサギやハトと一緒に売られていたハリネズミの使い方が気になってしょうがない今日この頃。

タチの悪い客引きが多い街 その2



フェズからエルフードへ向かう際に見られる「緑の川」

広大な世界に対して、水があり、植物が育ち、沢山の生き物が生活できる土地というのは実はあまりにも少ない。




モロッコの子供達

出会ったときはアラビア風に、「サラムマリコン」「アリコムサラム」と挨拶する。

覚え辛かったら、「佐田マリコ」「マリコさま」と言っても通じます。




デッドorアライブ (世間的に)


モロッコでは自由恋愛は一般的ではなく、親が結婚相手見つけてくるのが普通である。


男性は30前後、女性は15歳を過ぎた頃より、親が周囲の評判を元に相手を見つけてお見合いをセッティング。


上手く行けば3か月後には結婚となるらしい。



流れ自体はイスラム圏ではよく知られた話だが、ここで注意したいのが相手選びの情報ソースが地域での噂話(主に奥様ネットワーク)だと言うことである。


モロッコでは周囲からの評判を強く意識するため、悪い噂が出ると結婚候補として敬遠されるのだ。


この悪い噂というやつがまた程度の低いものでも大問題に発展するらしく、サハラ砂漠近所に住むマリコちゃん(仮名)を例にあげると、


「当時19歳、周辺の村1の美貌持ち、器量よし、家事万能」


というハイスペックにも関わらず、1度お見合いを断ったというだけで「話を持っていくと断られる子」というレッテルを貼られ、40歳近くになった今も相手が見つからず独身を強いられているらしい。


悪評が千里を走れば、同時に婚期も走り去るのだ。



その話を聞いて俺は思った。



これ始めにお見合いした相手が死ぬほど嫌な相手だったらどうするんだろう  


男性優位のイスラム社会では男性は悪評がたってもリカバリーが効くらしいが、女性にとっては死活問題。


嫌いな男と添い遂げるか、社会的に死ぬかの2択である。


正にデッドorアライブ


実際はそうならないために親御さんが走り回っているのだろうが、旅人の耳に入って来る位にはみんな失敗してるらしい。


今日もモロッコのどこかでは、人生をかけたお見合いが繰り広げられている。





モロッコ1の見所 サハラ砂漠

ラクダに乗って砂丘を冒険するツアーが有名。

深夜に砂漠で寝転んで見た星空はここまでで一番感動した景色。



砂丘には幻の魚(本当はトカゲ) サンドフィッシュ が潜んでいるらしい

捕まえてきたら蒲焼きにしてくれるという話だったが、残念ながら捕獲ならず。

モロッコの隠れた迷物料理 その1




サハラ砂漠の殆どは細かい砂利でできた礫砂漠

場所によっては化石がゴロゴロしている。

日本人がイメージする砂丘は全面積の14%しかない。



市場で食べれるヤギの頭の丸蒸し

もったりとしてコクがなく、口のなかにほんのりと生臭さが広がるお味。

手でバリバリ剥ぎながら食べる。

モロッコの隠れた迷物料理 その2



サハラ砂漠に置いてある、映画 「星の王子様」で使われたヘリ

星の王子様は昔作者が実際にサハラ砂漠に墜落した経験を元に書かれたお話らしい。


「心で見なくちゃ、物事はよく見えないってことさ。肝心なことは、目に見えないんだよ。」


作中の名台詞は、目に見える情報に振り回されていた日々を自然と振り返させた。



サハラ砂漠で出会った韓国女子 チーファー

夢は動物保護家。こっちの世界へようこそ!










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アンダルシアに憧れて



地平線の果てまで広がるヒマワリ畑

~スペイン アンダルシア地方 カルモナ(Carmona)~




世界の絶景を紹介する本に載っていた、1枚の写真。



旅に出る前偶然その写真に出会ってから、ずっとその光景を自分の目で見たいと恋い焦がれていた。



その為に旅程を東回りにし、時期を調節し。フライトも押さえた。



そして開花真っ盛りの6月前半。遂に憧れた光景に出会うことが出来たのだ。




これがその情熱の国に咲き誇る、世界に名を馳せるヒマワリ畑である。









ドーン!



ドーン‼



ドドーン!!!






燃え尽きてないか???





なんだろうこれは。


恋い焦がれた情景に元気を貰いに行った筈なのに、見れば見るほど元気が奪われていく。



因みに当日の気温は30℃越え。


最近全く雨が降っていないのか土はさらさらに乾燥しており、ヒマワリ達もその為揃ってグロッキーな模様。


見頃な時期にも関わらず、炎天下の中ヒマワリ畑を訪れたのはこの日自分一人だけだった。




・・・帰ろっか(泣)




今回はそんなやりきれない思いの残る、スペイン アンダルシア地方を写真でご紹介します。









カルモナへの起点となるスペイン第4の都市 セビージャ(Sevilla)

フラメンコの本場として有名。

先進的なトラムと古風な馬車が並走して走っているのが印象的でした。




街路樹の中にオレンジ発見!

どうやらお持ち帰りは自由な様子。

これで空腹も恐くない!




日本の食堂なら、机にあるのは塩、胡椒、一味、醤油辺りが一般的

でもスペインのレストランでは、オリーブオイルとワインソースがメジャーな様子。

ワインソースはサラダに。オリーブオイルは塩と一緒にフランスパンに塗って食べる。





世界遺産にも登録されているスペイン最大のカテドラル、「セビリア大聖堂」

中にはコロンブスの墓がある。

1400年頃に議会で満場一致で建設が決定された時の決め台詞が、

「後世の人が見て、正気の沙汰とは思えないような大聖堂を作ろう!」 

粋だ。





「白い町」の異名で有名なカルモナ

セビーリャからバスで一時間の所にある。

当時の王が積極的にイスラム文化を保護したため、街の至るところにイスラム建築を見ることができる。




遠足中 もとい行軍中の子供たち。

今日はカルモナに出兵らしい。




ヒマワリ畑はカルモナからセビーリャ方面に2㎞戻った所にある

交通機関はないので出掛ける場合は歩きかタクシーで。

自分はもちろん歩きました。

郊外は店一軒無いので帽子と水分は必ず持っていくべきだと思います。














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in グアテマラ


5月24日。


一月半いたメキシコに別れを告げこの旅3ヶ国目になるグアテマラに入った。


グアテマラは中米で最も人口の多い国で、国土の大半が標高1000mを越える高原地帯に属している。


大半の人がスペイン人と原住民の混血だったメキシコと比べて原住民の占める割合が多く、土着の文化に気軽に触れることができる国だ。



今回はそんなグアテマラについて、少し紹介したい。




国境を超えた話


メキシコ南部の街 パレンケから舗装された道を突っ走る事3時間。


グアテマラ入り口の町、テクリカ(Tecrica Agropecuarina)に入った。


国境を越えてから道は土がむき出しになり、建物やバスなど全体的にボロボロな雰囲気が目立つ。


人々はジャングルを切り開いた土地で家畜を飼ったり果樹園を作って生計を立てているようで、小さな子供たちが学校も行かず裸足で荷物を運び回っていた。



国が貧しいのか国の外れのジャングルにあるこの地域が貧しいのかは今の時点では俺には分からない。


だが鉈を片手にココナッツを割る4才児や、歳関係なく皆で遊び回る子供たちを見て思うのだ。


画面を見続けて育つ日本の子供たちと比べ、どちらが逞しく、人間らしく成長するのだろうかと。


そんな海外に行けば誰もが受けるカルチャーショックを久しぶりに感じながら、その後数時間バスに揺られフローレスへと向かった。



グアテマラへは船で川を渡って入国する

25分で向こう岸に着くよ。と聞いていたが、実際は25秒で着いた。

近い!Σ



メキシコの家はブロック造りが殆どだったが、グアテマラ北部は木とヤシの葉かトタンの屋根の家が主流な様子。

土の文化圏から木の文化圏へ移った気がした。




フローレス島の話


グアテマラ最初の夜はフローレス(Flores)という街の出島、フローレス島に泊まった。


湖の畔にあるこの街は、近くにある世界遺産 ティカル遺跡への基地として有名だ。


そのため日々多くの観光客が押し寄せており、ホテルが集中しているフローレス島が観光客の受け入れ先として文字通り外国人を受け入れる「出島」として活躍している。


そのため島はこれまで通ってきたボロボロの町とは違い、流石に島は観光地化が進んでいるらしい。


実際に着いてみると無数のホテルや外人向けの値段設定。寂れた街並みや水没した外周の公道などがとても見事で・・・っておい。


滅びかかっとるやんけ。


右側は一応公道


水没した外周の道に至っては、人工プールか向こう岸へ向かう渡し船の船着き場に成り果てている。


どゆこと?


この島は湖が沈む夕日が綺麗なのが売らしいが、先にこの島が沈みそうだ。



これで島の外より物価が高いのは納得いかない今日この頃。



深夜3時、街はティカルへ行くバスを待つ旅人たちで溢れる

これはこれで一つの風物詩かもしれない。




マヤ文明がジャングルに造った世界遺産 ティカル遺跡

朝日に照らされる遺跡が見たくて早起きしたのに当日は霧が立ち込める運の無さ。




グアテマラシティの話


フローレスから次の街へ向かう途中、乗り継ぎの関係でグアテマラシティに一泊することになった。


グアテマラシティはグアテマラの首都で、グアテマラの中でも街の規模と治安の悪さは他に比べて群を抜いていることで有名だ。


到着が夜間帯になってしまったが、まあ同じく治安が悪いことで有名なティファナも噂ほどではなかったし、どうせたいした事もないだろう。


そんな気持ちでバスから中心街に降りたとたん、一緒に降車した男性に怒鳴られた。



「バカっ!!バッグを胸の前から離すな‼」



急ぎカバンをホールドすると、改めて辺りを見回す。



薄暗くボロボロの繁華街。


そこら中でたむろする怪しい目付きの若者たち。


全ての店は鉄格子越しに商売をしており、ブロックの曲がり角には必ずショットガンを持った警察が数人ずつ待機していた。



ヤバい。


この街は本格的にヤバい。



第六感が警鐘を鳴らす。



臆している事を悟られるな。狩られるぞ。



自分に言い聞かせながら、表面上は余裕を見せながらも神経を研ぎ澄まし、周囲に気を張り巡らせながら必死にホテルを探した。


何事もなく無事ホテルを見つけ、次の日には市街へ脱出することが出来たが、あそこまで不吉な臭いのする街は初めてだった。



ホテル入り口

当然のように入り口は分厚い鉄格子で仕切られている。



日中は人通りも多く安全に感じた

これから向かう方は間違っても夜間帯に着かないよう気を付けて欲しい。



中心街から郊外へ向かうほど街並みは綺麗に整っている

それはもしかしたら内戦前に作られた街並みと、内戦後に作られた街並みの違いなのかもしれない。




パナハッチェルの話


フローレスからグアテマラシティを経由して、現在パナハッチェル(Panajachel)という町に滞在している。


この町はアティトラン湖という世界一美しい湖の畔に位置し、遠くに火山が見える綺麗な景色が有名だ。


また原住民の方達が作る民芸品の店も多く、ある人は景色を眺めに、ある人は綺麗な民俗衣装を買い付けに。


さまざまな理由で多くの観光客が集まり、その為か街にはいつも活気が溢れている。


治安もよく人も親切。気候も北部のように蒸し暑くないこの町が気に入り、数日間滞在することにした。



そんなある日の事。


深夜帯にホテルの近くから賑やかな音楽が聞こえてきた。


音に誘われ周囲を徘徊するが、どうやら音源は高い壁が張り巡らされた敷地の向こう側。


出入り口も鉄の扉で仕切られており、結局その日は音楽の正体も敷地の正体も分からずじまいだった。


次の日の朝。散歩に行くと、例の敷地の敷地に入っていく子供たちを発見。


この中になにがあるんだい? って聞いてみたら、彼らは元気よく「「学校!」」と答えた。




監獄の間違いじゃないのか?



 失礼ながらそれが正直な感想だ。


敷地の中と外は3m近い壁と有刺鉄線で完全に隔たれており、完全に外界との繋がりをシャットダウンした作りになっている。



何故にここまで閉鎖的にする必要があるのか?


そこでふと、この国は内戦が終わって20年も経ってない事を思い出す。



もしかしたらこの壁は、子供たちを守るために作られたのかもしれない。



今は平和な町の一角に、歴史の爪痕をかいまみえた気がした。





朝の岸沿いは野良犬のホテル

彼ら曰く、石畳がヒンヤリして気持ちいいんだワン  とのこと。



毎朝干されるホテルスタッフ一家の洗濯物

朝これを見上げるのが密かな楽しみ。









Ps、今月末に次の大陸に渡ります。




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